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おくで

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右も左も分からない希望に燃えて五里霧中の1年生の春学期。

1年生のうちはパースぺだ!

つまり、2,3年になって専門性を考えたようなときには

絶対とらないような授業をとって、視野を広げるのだ!!

とか愚かしいことを考えて意気込んでとった教科のうちの一つが、

「奥出直人の比較文化」

フィールドワーク中心の授業で、評価はタームレポート中心とかいう、

よく言えば学生のやる気中心

悪く言えば教授のやる気なし

な授業だった。

そこでおれが適当に入ったグループは、発表が最初になりやがった。

発表までたしか一週間とちょっとぐらいしかなかったんじゃないかな。

そりゃねえぜ。ボーイ!

おれはグループワークのなかで、集団で研究発表することの難しさを知った。

20人もの集団のコンセンサスをとるのもメンドくさいし、

きちんとアジェンダ設定してからディスカッションしないと

話し合いの先が見えなくなる。

徹夜なんてしたことなかった軟弱者のおれにはかなりきつく感じた。

みんな発表の直前までキレかけてた。

おれは奥出さんの悪口をいいまくってストレスの緩和に努めたね。

無事発表が終わったときは、

もう二度とグルワはとるまい

と心に誓って、以来その誓いは破ってない。

それから何を考えたか、セットで

「奥出直人の比較メディア」

を履修しちまった。

こいつはフルッサーの「テクノコードの誕生」っていう

人文的コミュニケーション論の本を読んで

授業で解説するっつーかたちをとっていた。

本人も授業の最初に言っていた通り、

くそつまらねえ

授業だった。

しかも、評価はタームレポート一発で、

あの恐ろしく退屈な授業とは95%無関係。

残りの5%ってのがまたくせもので、タームレポートの参考文献にしろとか

ぬかしやがる。

奥出さんはゲームが好きらしく、ゲームに関するハナシを

授業中にもよくする。

よっしゃ!おれの大好きな「クーロンズゲート」の分析をしたれ!

と思って九龍城やら軍艦島やらの資料を集めて書きなぐった。

当時のおれは今の10倍ものを知らなかったからろくなもんじゃなかった。

でもその時のおれとしちゃ人生で一番長い文章を書いて充実感いっぱいだった。

で、7000字だかにむりにまとめて書き終わってから気づいたんだな。

どこにもフルッサーのコミュニケーション論への言及がねえ!!

いまさら書き直すのもメンドクサイので、

おびただしい参考文献のすみっこに申し訳なさそうにフルッサーの名前を書いて

そのまま提出した。

・・・まともに成績きやがった。

よく言えば柔軟

悪く言えばテキトー

おもしろけりゃいいらしい。

おれはこの場合はもちろんいいほうに解釈した。

まぁおれとしちゃあ、未知の世界だった文化人類学とかコミュニケーション論だとか

の本を読んで、世界が広がったけどね。

だってこれらの授業とってなかったら一生読まなそうな分野だぜ。

てゆーか、フルッサーだって読み物としちゃそこそこおもしれーんだ。

当時は致命的に難解に感じましたが。

「ごちゃごちゃ論理をこねくり回してるだけじゃん!!」

というメールを恐れを知らずに奥出さんに書いたら、

読解力が足りないせいです。何年か後にはわかるようになりますよ。」

とかたしなめられた。

あれから1年の間に読んだ文献は、本だけでも150冊はいっている。

いまならどう読めるのか気になるけど、

時間が余りまくったときにしよう。

一つ学んだんだけど、教授に意見するってのはなかなか

蟷螂の斧

な部分があって、しかもそれに気づくのは時を経て成長した後なんだな。

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