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「特撮ファンの部屋」

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○「ティガが背負いしもの」

 「ウルトラマンティガ」という作品が背負わされているものはあまりにも重い。
 子供たちの夢、我々ファンの期待、そして未来への希望。
 現在の特撮作品(ヒーロー)における需要は、幼児とファン(我々)だけらしい。つまり、幼児とファンの間・ファン以上の年齢には全く重要を持たれていない訳だ。
 それに比べて、アニメ・漫画・ゲームというメディアは、はるかに幅広い層から需要がある。幼児・子供・ファン、それぞれの要望に答えるように、子供向け・マニア向けの作品を制作している。
 それに比べて特撮作品は、子供番組のみ。
 だが、子供番組のみの特撮作品にもファンがいる。そのため、ファンの要望にも答えようと、制作者達はファン向けの要素を子供番組に入れてしまう。しかし、それも限界があるので、やっぱり基本フォーマットである「子供向け」は絶対にくずしてはならないし、実際にくずしてはいない。
 しかし、ティガはそういった他の特撮子供番組と同じ作り方は出来ない。子供番組である「ウルトラマンティガ」がなぜ他とは違う作り方をしなくてはいけないのか? 答えはただ一つ、「ウルトラマン」だから。
 「ウルトラマン」。この名前を所有するヒーローのイメージは我々ファンにとって、多数の同種の作品とは明らかに違う。一話一話に込められたしっかりとしたストーリー・テーマ。重要な生命を与えられたキャラクター(怪獣)。敵を倒すだけではなく、時には助けるウルトラマンのキャラクター像。
 ウルトラマンの凄いところは、子供のときに面白いのはもちろんだが、大きくなって観ると「そうか、こういうことが言いたかったのか」と気付かせられるところだろう。もっとも、こういった作り方は70年代の作品の特徴ともいえるもので、制作者達は子供番組とののしられながらも、メッセージを作品に埋め込んでいた。それらは子供のときにはわからなくても、大きくなったらわかる制作者達のメッセージが。
 日本という国はこういった特撮・アニメ・漫画・ゲームといった自分達には理解不能なものを全て除外するようにするのが一般的な国だ。だが、実際に長い間語られ、ファンが出来るのもこれらの作品なのだが、悲しいかな、絶対に世間一般人は認めようとしない。それは今だに変わっていないと思う。だからこそ制作者達は子供番組に「メッセージ性」を盛り込んだのだろう。子供番組でしか語れる場所がないから。
 だから今(90年代)のようにただ忘れ去られるのを待つだけの作品ではなく、何十年過ぎても心に残る作品が70年代には多いのだろう。その中でもウルトラマンは抜群の出来で、しかも知名度も圧倒的。だからこそ誕生から30年を過ぎても今だに愛され続け、しかもヒーロー王の称号まで人々に与えられているのだろう。
 そのため、我々ファンはウルトラマンティガに「マニアの納得のいく作品」を期待する。なぜなら、他に期待できる特撮作品がないからだ。
 アニメの方はマニア受けする作品が大量に制作されている。というより、今はへたに子供受けする作品よりも、マニア受けする作品の方が二次利用(LD・OVAなど)を含めて成功するようだ。現に「エヴァンゲリオン」はとてつもない大成功を収めているし、その他のマニア受け作品も多数成功している。だからアニメファンは「自分達の年齢に合う」マニア受けアニメに期待しているし、実際制作者達もそういう作り方をしている。子供番組にマニア受けな内容を盛り込まなくてはいけない特撮作品とはえらい違いだ。
 本来はアニメと同じで特撮も、子供・マニアに分かれなくてはいけないのだが、残念ながらそれは今だに実現していない。
 そのため、我々ファンはウルトラマンティガという作品に、自分達の期待を無責任に押しつけてしまっている。ティガしか期待できる特撮作品が存在していないから。
 以前「宇宙船」誌で「もっとハードに」と特撮子供番組に意見するファンに対して、「それではポンキッキに、ハイレグ水着ショーを入れろというものだ」という意見を投稿していた読者がいる。まさにその意見の通りだ。 ティガは本来のメインターゲットである子供たちの夢を守りながら、我々ファンの期待を受け、そして現在の特撮作品が抱えている苦しい状況を変えるための未来への希望を背負い、戦っている(まさにこの言葉がピッタリだ)。
 これだけ重いものを背負わされているキャラクターは他に例がない。
 そういう意味では、やはりウルトラマンという作品は凄いと感じずにはいられないのだが…。


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