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北朝鮮でゴジラのスタッフと、そしてゴジラの中身(薩摩剣八郎)が関わって怪獣映画を作ったぞ。
それはプルガサリという北朝鮮の伝説の怪獣らしい。でも幻なんだって。
だって、北朝鮮だから。
とまあ、お国の事情という国際的な問題をかかえてしまったがために幻となっていた本作でありますが、宇宙船に紹介記事が載ってたり、正式な契約がなかったはずなのにどういうわけか数本だけビデオソフトが作られて出回ってたりと、完全な幻ではなかったんですけどね。実際試写はしてたし。
でもビデオソフトの契約だけど、ちゃんと正式に許可されてないのに発売しちゃうなんて、よっぽど発売したかったんだなあ。
しかも国際問題に発展したという話だし。
たかが怪獣映画と言われてるけど、なんかちょっち喜んじゃうね。
ちなみにこのビデオ、うちの近所のレンタル屋さんに置いてあったりする。
実際わたしゃそこで借りた。同じ幻の作品と言われてても、セブンの12話とは偉い違いだね。まだビデオで見れていたんだから。
おっと、セブン12話もビデオで見れて・・・ゴホンッゴホンッ!
それは言わない約束だったね。でもそんなプルガサリが「アメリカ版ゴジラ」上映に便乗して「伝説の大怪獣プルガサリ」と素敵なタイトルになって、レイトショーとはいえ一般上映されたのは、非常にめでたい。
それはおいといて〜(From どこでもいっしょ)、プルガサリくんでありますが、早い話が大魔神っぽいお話でして、政府の圧政により苦しみ人々が怪獣プルガサリの力を借りて、悪の権力者達を倒すというもの。
まあこれを聞いただけでは「なんや平凡。つまらなそうやんけ」と普通はそうなるよね。今どきこんな話に興味しめすのは、普段あまりにもつまんねえもんを、流行っているとかいうアホな理由で無理やりいいものだと自分にいいきかせて好きになるしか脳のない(実際にまともな脳は持ってねえだろうな)、ゴミ連中だけだろう。でもね、そういう使い古されたフォーマットなんだけど、プルガサリの描き方とかがうまいから、ちゃんと見れてしまうのね。
まさに「枯れた技術の再利用」(From 横井軍平)。鉄職人である父親を捕らえられ、獄中で父親を亡くした姉と弟。
父親は牢獄で出された食事を食べず、その米粒を集めて小さな怪獣(プルガサリ)の人形を作っていた。なぜそんなことをしたのか。この人形に苦しむ人々を助けて欲しいと願いを込めたからである。そう、自分の命を犠牲にしたわけだ。
悲しむ姉と弟、そして村人。
その姉の恋人である青年は、もう我慢できんと圧政を繰り返す政府と戦うことを決意し、大勢の村人と共に政府に戦いを挑む。
そんなとき、姉が縫い物をしていると、誤ってハリを指に刺してしまい、そこから流れる血液をプルガサリの人形に浴びせてしまう。
するとどうだろう。ただの人形だったプルガサリは、突然生きているかのように動き出したではないか。
そう、父親の思いが通じたのだ。
プルガサリは周りにあるハリをかたっぱしから食い散らかす。
どうやら鉄がお好みのようである。
最初は豆粒(作ったのは米粒だが)程度のちっちゃかったサイズも、鉄を喰うたびにでっかくなり、ついには人間の子供サイズになっちまう。
そして姉と弟が眠っている頃に、お腹をすかせて扉の錠前を喰っちまい、開いてしまった扉から興味しんしんで外に飛びだしてしまう。
朝になり、気付いた姉と弟はプルガサリを探し回るも、行方はつかめない。
そして悪いことは重なるようで、恋人であり反乱軍のリーダーである青年が政府によって捕らわれたと聞き、大慌てで姉と弟は処刑場に向かう。処刑場では青年が首切り場で捕らえられており、金網の向こうから人々の悲痛な叫びが聞こえる。このシーンは「大魔神(一作目)」の同シチュエーションのシーンを思い浮かべてもらいたい。めちゃくちゃそっくりで、クリソツだから。
いや〜な首切り係がでっけえ刀を振り降ろし、あわや絶望的かと思われたが、なんと人間の成人と同じサイズで帰ってきたプルガサリが、突然現れて場内は大混乱!
青年の動きを止めている鉄の錠前も彼のおいしいごちそうとなり崩れ落ち、青年(と仲間達)は見事脱出!
ここで物凄い(本当に凄い)仲間を得た反乱軍は、勢いづいて政府軍を倒すことを新たに決意するのであった。
でも大きくなったとはいえ、さすがにまだ小さいからたよりないとみんなは考え、プルガサリにいっぱい鉄をプレゼント。
見事彼は期待通りに巨大化。
反乱軍と共に政府軍を蹴散らしてゆく。
次から次に現れる武器も、彼にはとびっきりのごちそうでしかない。さすがに恐怖を感じた政府は、山を破壊すると豪語する開発者(まるでTACみたいだ)が制作した大砲を拝見。
大砲は山に向かって弾を放ち、爆発音と共に山の表面を破壊する。
のだが、ここで苦言を言わせてもらうと山を破壊すると豪語したわりにはちょっち小さい破壊力でねえかなあっと。
まるでTACみたいだ、ってもうええか。ところが、というか予想通りというか、そんなもんではプルガサリ様は倒せねえ。
ズンズン進むプルガサリ。
やっぱりどの世界でも新兵器は役にたたんね。プルガサリと姉様との関係を表すシーンとして、人質に捕らわれた姉のために、罠と知りながらも木で出来た檻にプルガサリが入るというシーンがある。
そう、プルガサリは姉のことを大切な存在と認知しているわけだ。
檻に火が放たれ、見事全焼。当然プルガサリも全焼。
なのだが、やはりプルガサリくんは強い。
まるで何事もなかったように、敵に突進する。
いや〜強いねえ。
もっとも、中身である薩摩さんにはまさに生死を賭けた強烈なシーンだと思うが。
それでなくとも爆発、爆発の連続で、その上火だるまにまでなるというまさに日本の本家ゴジラ、怪獣としての意地を見せつけなくてはいけないシーンの連発で、「ひょっとしたらこれは薩摩さんの我慢大会か?」と思っちまい、映像とは違う現実の世界をかいまみてしまうイケナイマニア魂が出ちまうシーンの連続なのに。だがそんな無敵のプルガサリであったが、ついに政府の企んだ作戦に屈してしまう。
それは落とし穴でプルガサリを沈め、上から山のような(本当に山のような)石をその穴に埋め込み、二度と出てこれない状態にしてしまうというもの。
さすがにこれにはプルガサリも敗北。もう彼は復活しないのか!
立て、プルガサリ。まだまだ君にはやるべきことが残っているのだ!
と、まるでヒーローものの最終回のような展開だが、ここでかなり印象深いシーンの登場となる。
地下に眠るプルガサリを救出するため、危険を覚悟で敵地に乗り込んだ姉は、プルガサリが下にいる石の山のてっぺんへと走り、腕をけっこう大きい刀(本当に刀という表現がピッタリ)で切り裂き、血を噴きださせる。
すると血液は石と石のすき間に流れ込み、その血液は石の山のその下にいるプルガサリにへと伝わり、命のパワーを得たプルガサリは見事復活を果たすのであった!
まさにプルガサリと姉様との関係が厚い(いや、熱いカモ?)からこそ生きる演出。
予断だがわたしゃ、首が吹っ飛んだり、体が木っ端みじんになる画面は別になんともない(というか、好き。ッポ)なのだが、ちょっと斬って血が流れるというのは苦手なのよね。
そのためこのシーンは結構イヤ〜ンなわけだけど、そういうイヤ〜ンなことを決死の覚悟でなしとげて復活させるというカッチョイイ(まあ個人的には遠慮するが(笑))シーンのおかげで、プルガサリと姉様との絆が見えてくるのよねえ。
あと直接関係ないけど、「ガメラ2 レギオン襲来」でもガメラの復活シーンで浅黄は血を流すね(やっぱこのシーンも個人的にイヤ〜ンだった(笑))。
やっぱ復活は日朝問わず、血を流すのがキーワードか?
まさに「姉様、血」「プルガサリも血を流したんです」って感じかな。復活したプルガサリを先頭に、反乱軍は最後の進撃を開始。
最大限の勢いで攻める反乱軍には、さすがの政府軍もタジタジ。
最後に残った一番の悪は、でかい宮殿の中で入り込み助かろうとがんばるが、追いつめられてプルガサリに潰されて見事最後を迎える。
まさに大魔神そのまんまの演出と画面だが、悪人がバカ面して潰されるのはやっぱカタルシスが最大限になりますなあ。悪の政府も滅び、人々は安息を手に入れた!
といいたいところだが、今度はプルガサリの存在が邪魔になる。
なんせデカイずうたいをしているだけに(みんなの願いを聞いたからなんだけど)鉄を山ほど喰うわけで、その鉄が政府と戦っているときにはそこら辺に攻撃してきやがる武器を喰ってれば問題はなかったのだが、平和になると武器なんかないもんだから深刻な鉄不足になってしまう。
もちろん自分たちを勝利に導いてくれた恩人であるプルガサリを餓死させるわけにはいかないので、人々は畑仕事に使う道具でさえも鉄が付いてさえいればプルガサリの食料として差し出す。
だけど姉様は考えた。このままだとプルガサリに与える鉄をもとめて人々が戦争を始めてしまうと。
それでは全くの本末転倒。
ではどうするか?
プルガサリは自分が力を与えた、いわば一心同体。
自分がいなくなればプルガサリも消えてしまうのではないかと。決意した姉様は、やさしくプルガサリを呼びかけ、鉄で出来た大きな鐘のある灯へと誘う。鉄で出来たごちそうである鐘を見たプルガサリは、喜んで喰いはじめるが、実はその中には姉様が潜んでいるのであった。
鐘と共にプルガサリの胃袋へと入ってゆく姉様。
姉様は死んだ。そしてプルガサリは、消えてしまう。
自分を犠牲にすることによって、一心同体であるプルガサリを消滅させたのだった。
ウルウル、感動やね。
終わり。といいたいところだけど、実はその後プルガサリから魂が抜け出し、その魂は姉となり復活させるのであった。
ちょうど自分が石の山から復活したように。と、これでこの映画は終了する。
ラストに安易に死なせてお涙頂戴を狙わないあたりはいいところかもしれんが、少々肩透かしとも思えなくもないかな。それにしても、劇中に登場するエキストラの数はすごい。
ものすごい数の人間が槍や鉄砲で戦うのはど迫力。
まさに本物の映像だ!
今ではCGでやっちまえばいいと考えるが、やはり本物は違うぜ!
さすがは金正日先生の一声で団結なさるお国柄ですな。
この理屈で行くと、大日本帝国憲法時代の日本だと同じような絵が撮れたのかしらん?
だって天皇の・・・(笑)。怪獣映画というと、どうしても伊福部昭の「ジャンジャンジャンジャ〜ンッ!」という勇ましいマーチや、平成ガメラにおける大谷幸の「チャ〜ラララ〜ン、チャララララララ〜ンッ!」という底から響く重厚なサウンドをイメージするが、本作はすっごくおとなしめな音を響かせている。
ところがそのおとなしめな曲がいいのよ、ほんと。まるでおとぎ話でも奏でているかのようで、この作品の作風にすごくマッチしてる。
文化の違いがうまく生きたというところかな。大魔神はゴーレム神話が参考になったと聞くが、このプルガサリは大魔神以上にゴーレム神話しているのではないだろうか?
粘土から生まれたただの人形だったゴーレムは、いつしか魂を与えられ動き出し、そして人々のために働くも、そのゴーレムを人々は恐怖するようになる。
いつも人間は勝手な存在だ。自分で生み出しておいて、制御できないとなったら簡単に壊してしまう。
プルガサリの場合はその勝手な人間たちを描かず、あくまでプルガサリは命の恩人、仲間だと描いた。
だけどその仲間であるプルガサリを助けるためには鉄を与え続けなくてはならず、その鉄を求めて人々が争う結果になるかもしれない。
なんと皮肉な結果なんだろう。
だから姉様は自分の命をプルガサリ自身の手によって断つことを決意したのだ。
プルガサリの被害を食い止める、すなわち幸せを手に入れるためには一心同体である自分を消すしかないのだから。全体的におとぎ話っぽくて、自然の美しい赤や緑といった原色がよく似合う画面は幻想的の一言。
プルガサリの存在も、苦しむ人々の願いを込めて生み出された米粒の人形という、自然の産物でよくわからんものではないところも、お話を演出するうえでのいいポイントになってるんじゃないかなあ。
だってさ、突然現れた白亜紀の恐竜が人間の味方で大活躍というのはかなりご都合主義だからさあ。あと、近年韓国で「大怪獣ヨンガリ」というタイトルでリメイクされてたりする。
残念ながらヨンガリくんは、プルガサリほどかわいくない(というよりブサイク)だったりするけど。
もっとも、リメイクではなくパクリ(ゴルゴ→ガッパみたいな)だったりして?でもね、本作でちょっと納得できないところがあんのよ。
ゴジラ(の中身)が北朝鮮を渡り、新しい怪獣を生みだした!
となってるけど、本当はミニラ(の中身)も同行してるのよ。
そう、あの小さいプルガサリ(通称チビガサリ)を演じるのは、なにを隠そうミニラを演じたことで有名な「小人のマーチャン」その人なのである!
だから本当は、ゴジラとミニラが見た北朝鮮
にならなきゃダメなんだけど、どういうことかそうなってないんよねえ。
ひょっとしたらこの部分こそ、隠された真実の「幻」なのか!
映画そのものはちゃんと日本でも念願の劇場公開を果たし(LDも出たし)、幻ではなくなったのにまだ「幻」を残しておくなんて、奥が深いねえ(笑)。
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