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「特撮ファンの部屋」

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○「誰も救えなかったヒーロー」(池上遼一スパイダーマン)

 今回はめずらしくコミックスの話をします。「なんで特撮ファンの部屋で?」と思われるでしょうが、本作が僕の特撮ヒーローの考え方にかなりの影響を与えたからです。
 1986年、朝日ソノラマからサンワイドコミックスとして、過去に発売されていた特撮作品(ヒーロー)に関するコミックスが多数発売されました。
 石ノ森章太郎先生の、仮面ライダー・ロボット刑事・イナズマン・その他、もろもろ。
 多数のラインナップから、僕は前から一度読みたかった「仮面ライダー」の1巻を書店に注文して、読んでみました。そして読み終わったので、すぐに2巻を注文したのですが、間違って池上遼一先生の「スパイダーマン」が入荷されてしまったのです。いつかは買うかもしれないけど、その時点では別に興味がなかったのでキャンセルしようかと思ったのですが、せっかく入荷されたんだし買ってもいいかと思ったので、僕は間違って入荷されたスパイダーマンを購入しました。
 そして読んでみてびっくり。てっきり東映が制作した特撮作品「スパーダーマン」のコミックス版だと思っていただけに、本当にびっくりしました。だって全然違うんだもん(特撮版のコミックスじゃないので当然だが)。
 そして最初の「間違われて購入した」という、いうなれば「ま、いいか」という気持ちで読んでいたスパイダーマンですが、いつの間にかすっかりのめり込んでしまいました。もし間違って入荷されなければ出会えなかったかもしれないわけで、この「ひょうたんから駒」といった出来事に感謝しました。
 そして慌てて残りの4冊をすべて注文して、手に入れました。当初の予定だった仮面ライダーの2巻も手に入れましたが、すでに興味はスパイダーマンに(もちろんライダーの2巻も傑作だよ)。
 僕はどうして、この「池上遼一スパイダーマン」に夢中になれたのか。面白いからという当り前の理由もあるけど、やっぱり主人公である小森ユウに対して「気持ちがわかる」からだと思う。好きな女の子に対しての欲望が抑えられなくて悩む、自分は一体なにをすればいいのかと悩む。まさに悩むヒーローだ。
 これには驚いた。だって変身ヒーローが「女の子への欲望」で悩むなんて、タブーなわけだから。人間の影の部分をはっきりと悩むヒーロー作品なんて、僕にとってはこのスパイダーマンが最初(で最後?)だ。
 でも実際、人間は表の部分よりも、影の部分の方が悩みが大きいと思う。それだけにユウには共感を覚えたのかもしれません。
 作画は池上遼一先生で、原作は前半が小野耕世先生、後半が平井和正先生となっていて、平井和正先生版の方が評価が高いせいか、コミックスも後半が先に出て前半が後に出るという変わった組み合わせを取っている(もちろん朝日ソノラマの復刻版のこと)。その1巻目のあとがきに、高橋留美子先生がこのスパイダーマンの大ファンだということで思い出を書いておられたのには以外(?)で驚きました(僕は高橋留美子先生の大ファン)。その中で高橋先生は、「小森ユウ(スパイダーマン)は誰も救えなかったヒーロー」だと述べています。失礼ながらも僕はその言葉に、「悩んで悩んで悩んだあげくに」と付け加えさせてもらいます。
 悩んで悩んで悩んだあげくに誰も救えなかったヒーロー。考えてみれば、ユウだけじゃなく、現実に生きる我々はみんなそうじゃないでしょうか。結局みんな悩むだけ悩んでも、自分自身をふくめて誰も救えない。だから誰もユウを攻めることは出来ない。自分自身も誰も救えないのだから。
 原作者である平井和正先生は、「別に小森ユウがスパイダーマンのコスチュームを着ようが着まいが関係ない」というようなことを言っておられた。この言葉には、「変身ヒーローは必ず変身するもの」と信じていた僕の変身ヒーロー観を見事に変えてしまった。そう、別に変身したから変身ヒーローなのではなく、変身しないでも変身ヒーローは変身ヒーローなのである。それに気付かされた僕は、改めて変身ヒーローとはなんなのかを考え始めてしまったのです。その問題の回答ですが、恥ずかしい話今だに出ていません。回答が必要とも思えないし。


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